弁慶島って知っていますか?
この記事を読むと、弁慶島がどこにあるのか、どんな所か分かります。
私は日常のギモン⇒「?」(ハテナ)を⇒「!」(ビックリ)に、をコンセプトに記事書きしている、ゆうと申します。
弁慶島と、弁慶にまつわる周辺の史跡も紹介します。
それではいってみましょう!
弁慶島
↑弁慶島。
別名、亀島。
看板にはこう記されています
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
弁慶島(亀島)
弁太(のちの弁慶)六歳のころ、子供とは思えぬ力で村中を暴れ回り迷惑をかけるため、母・弁吉は弁太をこの亀島(のちに弁慶島と呼ぶ)に一人置き去りにしました。
弁太は、ここで父と名乗る天狗と出会い、剣術や学問を学びました。
泳ぎが不得意であったので、砂や小石を運んで道をつくり帰りを待つ母のもとに戻ったそうです。』
この島が位置する松江市本庄地区は弁慶伝説が残る街。
平安後期から鎌倉時代にかけて存在したといわれる武蔵坊弁慶だが、 本庄地区には多数の弁慶伝説が残っており、弁慶が生まれ育った地とも言われている。
弁慶島周辺には弁慶の森、弁慶の立岩など弁慶にまつわる所が多数存在しています。
旅程に余裕のある方は弁慶島訪問のついでに、弁慶のゆかりの地巡りを楽しんでみるのはいかがでしょうか。
弁慶島の奥には、島根県と鳥取県を結ぶ、江島大橋が見えます。
江島大橋は、日本一、そして世界でも第三位のPCラーメン橋です。
ダイハツ・タントカスタムのCMで「ベタ踏み坂」としても話題になりました。
↑弁慶島を東側から眺めると、亀のような姿をしています。
弁慶島は通称、「亀島(かめじま)」とも呼ばれています。
↑車を停めるスペースも十分にあり、ベンチもあります。
ただし、雨の日はぬかるみます。
↑弁慶島に渡ってみて、振り返りました。
撮影したのがたまたま、この月一番の干潮だったので、ここまで陸地が顔を出していますが、普段はもっと沈んでいます。
普段は写真のもんば(ワカメ)が打ちあがっている辺りが水面だと思いますので、顔を出している陸地はわずかです。
6時間後追記
↑気になったのでこの日の満潮時にリベンジ(潮位28cm)
思ったより水没していませんでしたが、大潮とかの満潮時はもっと水没していると思いますのでお気を付けください。
『島に渡って、満潮になって帰れない!』
まぁ、そんなことはないか。
ごつごつした岩はいつでも海面に顔を出しています。
「まとめ」に潮見表のリンクを貼っておくので参考にして下さい。
4日後追記
満潮ではないですが、こんな日もあります。
これでは渡れませんね。
弁慶島の場所
国道431号線を、松江から境港方面へ向かい、道の駅本庄を過ぎた所にあります。
弁慶が一生懸命作った海中通路が見えてくるので分かると思います。
↑弁慶島入口には看板があります。
裏面にも同じように書いてあるので境港方面から来ても分かります。
弁慶にまつわる周辺の史跡
道の駅本庄
↑松江市、国道431号線沿いの道の駅本庄
道の駅本庄には、ご覧のような石碑があります。
弁慶誕生の地 本庄
弁慶伝説「越えた坂」
母・弁吉を後追いする幼い弁太(弁慶の幼名)
弁慶の里 道の駅本庄
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
弁慶握り芽
↑弁慶島の入口からすぐ東10mくらいの所には弁慶握り芽の入口があります。
↑弁慶握り芽伝承地
看板にはこう記されています。
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
亀島(弁慶島)へ流された弁太は、砂や石を海に落して道をつくり島から脱出。
最後に岸辺の芽を握って陸へ渡りました。
弁太が握った芽は「弁慶の握り芽」と伝えられ、又いつもねじれて生えるので「弁慶のねじれ芽」とも言われ、弁太は、握った芽で手を切り、今も弁太の血で芽の切り口が赤いといわれています。』
岸辺の芽?
探しても見つからなかったのですが、弁慶の道にこんな草が生えていたのでこれか?↓
よくわかりません…。
このブログの主旨としましては突き止めねばなりません。
今回は課題とさせてください。
また、分かる方おられましたらご教授下さい^^;
長見神社
↑長見神社
看板には、こう記してあります
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
長見神社には、「ににぎの命」「このはなさくやひめの命」を祀り出雲国風土記に「長見社」と記されている由緒ある神社です。
長海に生まれ成長した弁慶が、病床の母・弁吉から語られた母の生い立ち、自らの出生から幼少期・青年期までのことを書いた「弁天願文(がんもん)」(社宝)が奉納されています。(一般非公開)
その後、修行をすると心に決めた弁慶はこの地を旅立ちました』
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
弁慶の森
↑雨降り時は案内板が湿って分かりにくいですが、「弁慶の森」と書いてあります。
↑弁慶の森案内板
こう記されています
『弁慶の森
武蔵坊弁慶が生まれた森。
弁慶の母弁吉は紀州和歌山県田辺市の生まれだが、縁あって長海の里に来て弁慶を生んだという。(1151年3月3日)
この森の入口から5分程登ったところに母弁吉が手で堀ったといわれる弁慶産湯の井戸跡がある。
また中央には、弁慶が母の御霊をまつる為に建立した小さな祠「弁吉女霊社」があり、弁吉女霊社祭が毎年7月1日この地で行われる』
弁慶産湯の井戸跡
↑弁慶産湯の井戸跡
こう記してあります
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
母、弁吉が鍬を食べて元気な弁太を産んだので、鉄への恩を忘れないため、手で井戸を掘りその水をわかして弁太の体を洗ったことから「弁慶の産湯の井戸跡」として残っています。
この井戸水は、安産や産後の回復によいといわれ、六十年位前まで多くの人がくみにきていましたが、言い伝えを守り鉄以外の物で水をくんでいたそうです。』
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
弁吉女霊社
↑弁吉女霊社
看板にはこう記されています
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
弁慶の森
この森は、母・弁吉が神様のお告げに従いこの地に来て山伏に姿を変えた天狗と結ばれ弁太(後の弁慶)を産み育てたので「弁慶の森」と呼ばれています。
弁吉を祀った「弁吉女霊社」は安産や子育ての守り神として信仰を集め、長刀を備えて祈る習わしがあります。
毎年七月一日には「弁吉女霊社祭」が行われています。』
弁慶の立岩
↑弁慶の立岩
幼い頃怪力だった弁慶がたてかけたという岩。
高さは約2m。
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
弁慶ぼたもち岩
↑弁慶ぼたもち岩
看板にはこう記されています
『本庄の弁慶 伝説ゆかりの地
弁慶が枕木山で修行中、大山へむかって投げた大岩が野原町の海岸に落ちたと伝えられ、その大岩は「ぼたもち岩」とよばれ9個残っています。(1個は歩道下に埋没)
また一説には、枕木山の天狗と揖屋の天狗がけんかして、岩を投げあったその大岩であるともいわれています。』
↑奥に見えるのが県境をまたいで鳥取県の大山です。
直線距離にして約40kmあります。
あそこに投げようとしてたんかー、すげ。
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
弁慶岩
立て看板には、こう書かれています。
弁慶岩
『 武蔵坊弁慶は豪快・剛力の人物として知られており、今でも弁慶にまつわる伝説が全国あちこちに存在します。
この大岩は昔、弁慶が下駄の歯の間に挟まったものを対岸の宍道湖北岸から蹴飛ばしたらここまで飛んできたという説と、この地区の宍道湖南岸から蹴ったものが対岸に飛んで行き、その時のかけらがこの大岩であるという2つの説があります。
さらに後者の説には続きがあり、石を蹴ったときに弁慶が勢い余って膝をついた際にできた窪みの跡が田になり、それを「膝つき窪」と言ったという伝承もあります。
この大岩は宍道湖南岸の地域で産出する凝灰質砂岩で、地元では「来待石」と呼ばれるものです。
来待石は加工しやすい石材で、古くからかまどや臼などの生活用品に使用されたり、石段や石塔までもつくられています。
なかでも「出雲石灯ろう」は国の伝統工芸品に指定されています。
《関係地案内》来待石採石場、モニュメントミュージアム、きまちストーン、松江市出雲玉作資料館、石宮神社(出雲国風土記に記載)、夫婦岩遺跡 』
凄いですね。車で30分くらいかかります。
島根県松江市玉湯町林1525
鰐淵寺
鰐淵寺は弁慶が修行をしたお寺です。
弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。
その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。
壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした後再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。
この際に弁慶は大山寺(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘を、この鰐淵寺まで約101kmある山道を一夜にして担いで持ち帰ったとされています。
その釣鐘は国の重要文化財に指定されています。
「ちょうちんにつりがね」ということわざは、弁慶が棒で釣鐘を担ぎ、夜道の明かりのため提灯をともした姿に由来すると伝えられています。
鰐淵寺の場所や詳しい内容はこちらをどうぞ
弁慶が修行したお寺、鰐淵寺(がくえんじ)ってどんな所?【島根県出雲市】
弁慶石(鳥取県米子市)
↑鳥取県米子市の湊山公園にある、弁慶石。
2022年6月現在、石垣が崩れて石垣の上は立ち入り禁止になっています。
↑悲運の霊を慰めるため女性の石像と花が植えてあります。
弁慶石
湊山公園の中の日本庭園にあります。
そこには昔、清洞寺という寺があって、清洞寺岩と言われる大きな石が数個あります。この大石は、弁慶が出雲から投げた石で、その昔は弁慶石と言ったそうです。
夏になるとこの石を飛び込み台にして泳いだ、と語られる人は沢山おられます。時には、あの世への飛び込み台になったとか。
女性の石像にはこう記されています
「ここ清洞寺跡は歴代米子城主ゆかりの菩提寺が建立され五輪塔が祀られた史跡であり札打ち供養の聖地でもある。
そのむかし巨石の岸辺は波の渦巻く深渕にて水に興する幼子の命を奪うのみか近くの苦界に生きる遊女達が世を儚み身を投じた悲嘆の場所であった。
中海の干拓は往持の面影を煙滅させ巨石と巨松が残るだけである。
ここに同志桐はかり過ぎし史実の一端を記し悲運の霊を慰めんとするものである。
昭和六十年七月」
まとめ・提灯に釣鐘・潮見表
弁慶島
別名、亀島
提灯に釣鐘
弁慶の話になりますが、お隣鳥取県の大山にある寺から、釣鐘を持ち帰ったとされる弁慶。
その際、担ぎ棒の前に提灯を、後ろに釣鐘を吊るして歩いたのでそれ以降釣り合わないことを『提灯に釣鐘』と言うようになったそうです。
潮見表
弁太が無事道を渡れますように。
この他にも色々な言い伝えがありますので、ぜひ弁慶ゆかりの地を訪れてみられたら楽しいかと思います。
詳しい場所・地図はこちら⇒武蔵坊弁慶伝説ゆかりの地まとめ【島根県松江市本庄地区】
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最後までご覧いただきありがとうございました(^^)/よい一日を~ ゆう
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